家のリビングでゴキブリを見逃したあの夜から、ふと下のほうで足やらズボンの裾がモゾモゾしたような気持ちになると、奴がそこにいないことが分かっていても、すごく気持ち悪い気分になる。怖いからつぶさなかったし、まだ小さいから危機を感じなかった。
そんな気持ちでいろんなものを選んできたような気がして、失敗とか悲しいこととか、みんなそれぞれあるのに、そのたびに選択してきたであろう道が、どんな道であろうと、私のはそうじゃないのに、みんなのはキラキラ輝いて見える。駅のホームで浴衣を着てキラキラしてる女の子たちを見たり、夏フェスの話題が飛び交うのを聞いたり、無縁なことではないのに私こそそういう楽しみをなによりも望んでいるのに、何故か遠いことのように思える。長い文章を書くことももうすっかりしていない、読む文章は、近代のネット社会やら産業革命からの欧米と日本の対比についてやら、絵画の話も読んだ、戦時中と戦後のような人々の思想がグラグラに揺れる時代の小説も読んだ、塾のテキストで。ビルはいつも仮定法のなかで後悔ばかりしているし、アリスとマリーは今年で出会って10年目。天気はitで副詞節は現在形。私が仮定法が得意なのは後悔しいからなのかもしれないとふと思う。

ある人と連絡を取って、彼の後悔が口に出るところで、私は無性に腹が立った。お互いに、考えて、違う道を選んだのにどちらも100%の快晴を得ていないこと⛅️ 私は私が選んだほうの道を、あなたは選ばなくてよかったね、と言った。あなたはそうだと言った。会いたかった気持ちもぽしゃんとしぼんで、どちらも正解じゃなかったのだとしたらどうしたらよかったのだろうと思った。もちろん、ここで選択の結果を結論づけるのはまだ早いと思うし、私の見方でいえば、彼の道はこれからどんどん楽しくなると思う。そういう人だし! かといって私が選んだほうが間違いなんだよって言われでもしたら心外だ、進んでる実感もないし、人とまったく話さない日だってあるくらいだけど、今に見てろよって気概もある。'今に見てろよって 今も過ぎた'って歌詞があったけどそれはまだ、全て終わるまでは言わないでね。
私は、私が決めたことに対して、1ミリの自信も持てなくなることが嫌だ。この歳にもなって未だに'私は''私は'って言い過ぎだなぁ。だからこんなにひとりぼっちだなんて思ったりもするんだろう。周りをよくみたい

何が書きたかったのか分からない、次またなにか書くときは「〜ない」と「〜だけど」を封印してみます。夏は友だちとサマソニに行くよ。フジにいる人はシガーロス楽しんでください

19歳になりました